12月5日(土) 晴
妹とサントリーミウジアムで開催中の
「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」
http://www.sps.sgn.ne.jp/company/news.html#news139
に行ってきました。
クリムトの名前につられて行ったけど、彼の作品は3点だけだった。(--;
以前、豪華な金ピカの作品を見に行ったことがあったので、
今回も楽しみにしてたんだけど、金ピカはパンフレットに乗っている作品のみ。
ま、「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」ってことだし
無料チケットだったし、いっかな。(^^;;
絵画のプチ知識も少しだけレベルアップしたしね。
↓
・クリムトの生きた時代は、オーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク帝国の
最後の時代。
・クリムトのお父さんは、金銀の線刻師だった。
あの金ピカ作品は、お父さんの影響もあるのかな~?>勝手に想像。
・クリムトには、エゴン・シーレって弟子と
マッチュっていう、ウィーン工芸美術学校での級友がいた。
んで、クリムトの2人の弟もィーン工芸美術学校に入学。
(兄弟そろって、芸術家だったのね)
シーレが美術アカデミーへ進学した年、ヒトラーは入学を拒否された。
シーレとクリムトは、親子ほど年が離れていたけど、師弟関係を超えた深い親交があった。
・弟のエルンストやマッチュと共に芸術家カンパニーを設立するが、
弟が亡くなって、解散。
・級友のマッチュと共に、公共建築(ウィーン大学の天井画の装飾画)を
一緒に手がけるが、この作品は、とても非難を受け、この仕事を放棄。
・ウィーンの伝統的な芸術から離れて、「分離派展」を結成。
・クリムトは、1918年(第一次世界大戦が終わった年)に、
脳卒中で半身不随になり、 その三週間後にスペイン風邪で亡くなった。
下半身不随になったクリムトを看病し、最後を看取ったのは、シーレだけ。
そして、シーレは、病院の死体安置室で、クリムトの死顔を3枚デッサンした。
同じ年にシーレの奥さん(結婚3年目で妊娠中)もスペイン風邪で亡くなった。
そして、奥さんが亡くなった3日後に、シーレもスペイン風邪で亡くなった。
・クリムト:享年55歳。
・シーレ :享年28歳。
革命の激動期・第一次世界大戦・スペイン風邪の流行。
大変な時代に生きた芸術家たちだったんだなぁ...
サントリーミウジアムの中から撮った、南港。
逆行なので、モノクロ風に撮れちゃいました。
空の光の真ん中にある黒点は、太陽。
結構、絵画展には行くんだけど、シーレやマッチュって名前は、初めて知った。
>似非絵画マニアなのがバレバレ。(^^;;
豪華な金ピカの作品は少なかったけど、今まで見たことのない絵が沢山見られたし、
オーストリア芸術の歴史も少し分かったし、良かったかな~。
オーストリアの絵画って、あまり見たことが無かったように思う。
シーレの絵に関しては、彼の生い立ちなどを知ると、
ちょっと怖いというか、不気味な感じの作品が多いのも、分かるような気がしました。
明るくて華やかな絵は、ないんだよね...>展示品以外では、あるのかな?
んで、クリムトもシーレも、スペイン風邪で亡くなったのか...
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